アクティブラーニングにおける「わかりやすい説明」

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アクティブラーニングが学校現場に推進されています。学習指導要領案では、「アクティブラーニング」という言葉は使用されないことになり、学校現場はさらなる混乱に見舞われています。今回の記事では、アクティブラーニングにおける「説明のわかりやすさ」について考えたいと思います。
学習

アクティブラーニングにおける「わかりやすい説明」

わかりやすい」ということは単純否定されることが多いようです。複合的な概念を「わかりやすく」説明したところで、学習者の「力」にはならないというのが彼らの意見だそうです。しかしながら、「力」とは何なんでしょうか?どのような意味で「力」と言っているのでしょうか?それは「学び」に対して短絡的な発想しかできていないことの証明になります。おそらく、単純に知識を習得することを「学び」だと言っているのでしょう。しかしながら、「学び」こそが複合的な概念であり、そのような「学びという概念を『わかりやすく』理解しただけ」では何の解決にもなりません(そしてこれらの否定サイドの人間たちは、そういった反駁にきちんと答えようとしないことが多いです)。学びとは、知っていた情報に新しい情報が組み合わさり、新しい知識として吸収する……と乱暴に言うことができます。とするならば、学習者の知っている情報にアクセスできなくてはいけないため、むしろ「わかりやすい」説明が適しているとは言えないでしょうか?ここで「わかりやすい」ことについても思慮を入れる必要があります。単純に教師の声が届きやすいなどの外的な要因の場合も、「わかりやすい」と言われることがあるため、深い考察が必要とされます。「わかりやすい」とは、複合的な言語を別の単純な言語に置き換えることだと、乱暴に言うことができます。全体で理解するのにかかる労力が10の概念を、3の労力で理解することのできるように、言語を精選して、使用する……このことこそが「わかりやすい」の正体ではないでしょうか?
学習者
そのためには、教師はことばを大切にする必要があります。大学の講義などで、教授が専門用語ばかりを使用して「わかりにくい」ことってよくありますよね?それとは逆に、言語を精選して、少ない労力で多くの効果を生み出せるような言語使用が期待されます。これは関連性理論という理論などにのっとっており、「理論と実践の統合が大切だ」という教育関係者は、それこそ「わかりやすい説明」を期待せずに、このレベルの抽象的な理解はできなくてはいけないのではないでしょうか?アクティブラーニングは大人の願いが込められた教育実践法です。単純否定/単純肯定するのではなく、教師と学習者の協同によって、アクティブラーニングを進化させることが急務ではないでしょうか?