アクティブラーニングにおける「理解」とは!?

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学校教育にアクティブラーニングが推進されています。学習指導要領案では「アクティブラーニング」という言葉が登場せず、学校現場はさらに混乱に巻き込まれています。アクティブラーニングを超えて、普遍的な学びにおいて、学習者の「理解」というのは大切なキーワードです。今回の記事では、アクティブラーニングにおける「理解」とはどのようなものなのかについて考えたいと思います。
学習者

アクティブラーニングにおける「理解」とは

従来、「理解」とは知識の収集を意味していました。テストに出る単語を暗記し、それを再生するという「インプット/アウトプットモデル」が採択されていました。しかしながら、アクティブラーニングが導入されて、人間の学びはこれまでのようには捉えられないようになってきました。人間の理解とは、「インプット」や「アウトプット」のような機械的な用語でとどめられるものではありません。「理解」というのは、単純に言うならば、「過去の情報に新しい情報を結び付けて、さらに新しい情報を取り入れること」です。既知項目と未習項目を結び付けて、自分の中で知識を創造することが「理解」なのです。この際、脳内のシナプスの動きが重要になってきます。あるシナプスと別のシナプスを発火させることによって、結合させることが「理解」だと神経科学的にはいうことができるでしょう。ですので、新しい情報をそのまま伝達しても、学習者のこころには届きません。一部の教育関係者の中には「わかりやすいこと」を思慮も入れず単純否定している者もいるようですが、学習者の旧情報に響く語り掛けをすることによって、新情報が入手されるという考えに依拠するならば、やはり教師の語りは「わかりやすい」ほうがいいでしょう。「わかりやすい」というのも浅薄的な言葉で、教師は複雑な事象を、学習者の旧情報にアクセスできるような別の言語に「翻訳」することが大事になってきます。
学習者
このように、理解とは、人間の認知を深く考えないと考慮できない事象です。ただ単に「覚えろ」」と言い放ち、何のケアーもしないのは、教育の名に値しません。教育(education)とは、その語源が「elicitation(引き出すこと)」にもあるように、学習者の内発的な引き出しによって行われる営みです。そのために、学習者の認知レベルにまで落とし込む技量が、「優れた」教師には必須となってきます。単純な知識の伝達→暗記というモデルで考えるのはもうやめませんか?そんな処理ならば、人工知能でも可能です。これからの「人間的な教育」というのは、アクティブラーニングにも掲げられているように、学習者の主体的な学びにかかっているのです。アクティブラーニングを単純否定することもせず、逆に単純肯定することもせずに、そのいい部分をこれからの教育に取り入れていくこと……これこそが知識人たる教師の責務ではないでしょうか?