アクティブラーニングにおけるリフレクション-内省とは!?-

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アクティブラーニングにおいて、リフレクションが注目されています。教師が内省的実践者として、授業に関して探求を行い、成長を目指すというものです。今回の記事では、リフレクションにおける「内省」について考えたいと思います。ただ単に自分の実践を振り返るのみならず、どうすれば「内省的実践者」になれるのか、そのヒントについて探っていければ幸いです。

リフレクションにおける「内省」とは!?

「内省」とは自己を見つめなおし、反省することです。しかしながら、単純に反省をすればよいというものではありません。人間というのは弱い生き物であり、自身の失敗を見つめなおすことは普通は困難です。内省とは、成功も失敗も含めて、前進していくことを意味します。授業研究というと、指導助言者がつき、授業を公開し、助言を「いただく」というのが通例だったのかもしれません。しかしながら、リフレクションでは、教師は自らの「気づき」によって、前に進んでいく必要があります。このとき注意しなければならないことがあります。

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まず、ある程度の一貫性を教師は持つ必要があるということです。仮説の変更といえば聞こえはいいですが、主張をすぐに変えることは内省的実践者にはふさわしくはありません。ある程度の一貫したポリシーのようなものを持っておき、そこに共感できるものと違和感を感じるものを見極める必要があります。そうでなければ、教師はすぐにころころと意見を変えるただのおべっか使いになってしまいます。教師はある程度のポリシーを持ち、そこから成長の糧を探さなければなりません。

次に、自身が正しいと思い込まないことです。教師は学習者から「先生」と呼ばれ、無条件的に自分が正しく、自分がえらいと思い込んでしまっている人が多いような気がします。20代くらいの若者がある程度自分への無根拠な自信を持ってしまうのは仕方ないかもしれませんが、ある程度キャリアを踏んだ教師がそうであっては本末転倒です。自分の言動を常に謙虚に振り返り、時には自己否定をすることが大切です。先ほどいった「ころころ意見を変える」ことは自己否定を伴っていない、いわば「楽な道へ逃げていること」です。ですので、教師は自分にとって不利益な情報であっても、素直に受け入れる必要があります。このような内省の土台となる「態度」があって、はじめて教師の成長に幅が広がります。教師は一貫性を持ち、謙虚な態度でいること。これがアクティブラーニングにおけるリフレクションには必要なことです。傲慢にならず、かたくなにならず、常に心が開いた状態」でなければリフレクションは行えません(そう考えると、「こころ」を持っていない人工知能にはどうあがいても、質の高いリフレクションは不可能です)。アクティブラーニングにおけるリフレクションとは、教師の「○○になりたい」という前向きな意思からすたーとするのではないでしょうか?