アクティブラーニングにおける「相互文化理解教育」-文化本質主義と文化構築主義-

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英語教育、社会科教育、国語科教育において「相互文化理解教育」は重要なキーワードです。従来、「異文化理解」と訳されていましたが、それでは文化の本質の差異を前提としてしまうため、この著作を参考に、「相互文化理解」と訳しています。今回の記事では、アクティブラーニングにおける相互文化理解教育について考えたいと思います。先に結論を言えば、「文化」は本質主義的な概念から、構築主義的な概念への転換、個々の文化理解から社会的な文化理解への転換を目指すということです。
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文化本質主義と個々の文化理解

従来、「文化」という概念は本質主義と呼ばれる思考方式で理解されていました。これは「個々の文化がこの世界に存在し、その文化を個体的に理解すること」が重要だという考え方です。これはしばしば「国家=文化=言語」というような定式で考えられることが多いです。しかしながら、同じ国家でも文化差異が認められる例は数多く見受けられます。例えば、沖縄の文化というのは、同じ日本国家内でありながら、「本土」と呼ばれる文化圏とはまるで異なった体裁を見せます。このように、文化本質主義では真の「文化」に対する理解は深まらないことがわかると思います。文化本質主義の施行方式では、個々の文化を理解することが前提とされています。例えば、英語圏の文化として、ハロウィンを題材に扱う…などです。この文化理解「のみ」では、真の相互文化理解にはつながりません。
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文化構築主義と社会的な文化理解

これに対し、文化構築主義という思考方式があります。これは「文化などという概念はこの世に存在しない」という考え方です。一見ラディカルで現実と異なるように思えますが、文化というのはそもそも実態がつかめない概念であり、文化は人間のコミュニケーションの中で生まれるものだという考え方です。この思考方式では、個々の文化理解よりも、普遍的な文化への「受容性」を養うことが大切になってきます。つまり、どのような文化に接しても、それを差別したり見下したりしないという考えです。このためには、コミュニケーションによって、お互いの文化を洗練させることが必要となってきます。自分の持つ「文化」と思われるものも、他者の文化の反映であり、文化はコミュニケーションによって、相互作用し、分離したり、融合したり、変容を繰り返す…という考え方が重要になってきます。アクティブラーニングにおいて、重要なのは「文化構築主義」ではないでしょうか?学習者同士がお互いの差異ばかり気にしていると、「学び合い」や「協同学習」は上手く機能しません。アクティブラーニングでは、文化構築主義のような、種々多様な文化に対する寛容さを養うことが大切ではないでしょうか?自己という存在は他者の鏡写しなのです。アクティブラーニングは新たな文化観からさらなる発展がなされなければなりません。