アクティブラーニングにおける「知識」について-ジョブスキルから社会形成能力へ-

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アクティブラーニングという得体のしれない概念が学校現場に降りかかってきて、学校現場は対応に追われていることかと思います。しかしながら、トップダウン式に降りてきたものというのは、トップの基盤の組み立てがしっかりできていないと、逆効果になります。この記事では、アクティブラーニングの目標とする「知識」について考えたいと思います。
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ジョブスキルから社会形成能力へ

今回の記事は、この記事を参考にしました。(大学を含めた)従来の学校教育というのは、将来就く職業のための「知識」に重点が置かれていたことかと思います。例えば、教師になるにはどのようなスキルが必要かということを区分けにして、それをカリキュラムとして形成していたわけです。このジョブスキルも否定されるべきではありません。社会に出てから必要とされる能力を、職業人を育てるという理念のもとで計画することは悪いことではありません。問題はその過度な重点化です。職業人を育てることにいそしむあまり、本来の学問の追求よりも、企業の下請けを育成するというような理念に包まれていると考えられます。これからのアクティブラーニングをはじめとした学校教育では、社会を形成する能力を育成する必要があると考えられます。将来、権力者にコントロールされるのではなく、自らが主体的に社会を形成するための素地を、アクティブラーニングでは養う必要があるのです。ですので、テストの成績に特化した指導というのも、そのための表面部分、あるいは一部分にすぎません。それだけを重点化し、一般化することは、マイノリティに対する暴力と考えられます。アクティブラーニングの掲げる「主体性」とは、自らが自らの人生を切り開いていくのみならず、自らで社会を構成していく力のことです。そのためには、コミュニケーション能力の育成は欠かせません。社会システムを構成するのは、下位システムである心理システムによるコミュニケーションのシステムだからです。ここで注意しなければならないのは、コミュニケーションをテクニックととらえる短絡的な能力観です。それではまるでコミュニケーションが「社会でうまくやっていく力」に限定されている印象を受けます。コミュニケーションとは「他人に媚を売る力」ではなく、社会全体の基盤を作るために、人間関係を豊かにする営みのことです(教育者に限って、他人に媚を売ることにいそしむ方が多いようですが…)。コミュニケーションは社会を形成します。
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未来の子供たちには、社会をよりよくするための「知識」を身につけさせなければなりません。そのために、アクティブラーニングを単純肯定/否定するのではなく、アクティブラーニングについてのメタ的な考察の実行・継続によって、アクティブラーニングというシステムを洗練させていくことが必要ではないでしょうか?