アクティブラーニングにおける「コミュニケーション」(1)-機械論的モデルと推論モデルー

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アクティブラーニングとは、学習者と学習者、学習者と教師の絶え間ないコミュニケーションから成立しています。しかし、「コミュニケーション」と聞いても、単なる「会話」のように捉えられていることが多かったのではないでしょうか?今回の記事では、アクティブラーニングにおける「コミュニケーション」について考えたいと思います。コミュニケーションは機械論的なモデルではなく、推論モデルで考えるべきだというのが、この記事の主張です。
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機械論的モデル

まず、コミュニケーションについて考える際、最もわかりやすいのが「機械論的モデル」です。これは言うならば、ある発信者が情報を受信者に届けるというシンプルなモデルです。情報を伝達する際に、多少の「ノイズ」には巻き込まれるものの、情報は必ず発信者から受信者へ届けられるのが前提となっています。これは分かりやすいモデルですが、いくつかの問題をはらんでいます。まず、コミュニケーションというのは、何も発信者が情報を失う営みではないということです。機械論的モデルで考えると、発信者から情報が「転移」して、受信者に届けられることになるため、発信者はその情報を失うことになってしまいます。また、このモデルで考えると、情報はかならず発信者から受信者へ伝達されるメカニズムになっており、誤解などを考えることが出来なくなってしまいます。コミュニケーションでは誤解などはつきものでしょう。そうした「人間的」な要素を排除してしまっているのが、この機械論的モデルの難点です。
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推論モデル

これに代わって、様々なコミュニケーションモデルが考えられるようになりました。「推論モデル」もその1つです。端的にいつならば、コミュニケーションを受け手の側から考えようというのが、推論モデルです。推論モデルでは、受け手が語り手の送る刺激(主に言語など)に対して、あらゆる推論を働かせ、「解釈」するという考え方に基づいています。この推論の方法ですが、受け手は刺激に対して、今までの経験、周りの状況などあらゆる「コンテクスト」から推論をして、自分に関連性のある解釈を得るということになっています。受け手側から考えることにより、語り手の情報は受け手にとって「刺激」として映ることなり、先ほど上げた「情報の喪失」の問題はなくなります。また、受け手は自分に関連性のある解釈をするため、そこには誤解なども生じることが前提となっています。このように、コミュニケーションを「合意」を前提とした営みではなく、「程度のある営み」として捉えることができるようになるのが、この推論モデルの強みです。アクティブラーニングにおいても、学習者がお互いに学び合い・協同学習をしても「全てが伝わるわけではない」という前提に立つことが大切ではないでしょうか?また、教師も自分の情報、というより刺激が学習者に100%伝わるものではないという「謙虚な態度」が必要になってきます。アクティブラーニングにおける「コミュニケーション」とは、この「不確実性」によって考えるべきではないでしょうか?